◆レッズ6x―5カブス(8日・シンシナティ)
カブスの和田毅投手(33)が8日(日本時間9日)、レッズとのダブルヘッダー第2試合でメジャー初登板し、5回を5安打1失点(自責点0)だった。チームは5―6とサヨナラ負けしたが、渡米3年目でようやく晴れ舞台にたどり着いた。ヤンキース・田中将大投手(25)はインディアンス戦で6回2/3を投げ、メジャー自己ワーストの10安打5失点で4敗目を喫した。
体が熱くなった。和田は万感の思いを込め、左腕を振った。初回先頭。ハミルトンへのメジャー第1球は、89マイル(約143キロ)の直球だ。「正直、緊張しました」。外角高めに外れたが、2年半かけて上がった念願の舞台だった。その後、歩かせたが、次打者をカーブで遊ゴロ併殺打に仕留めて波に乗った。
前夜はなかなか寝付けず3度、目を覚ました。この日も降雨予報のため、試合開始が35分遅れた。「3年間を思えば、30分なんてあっという間。この舞台、このマウンドに立ちたい思いでここまで来た」。5回は3連打を浴びて背負った無死満塁の危機を、味方の失策による1失点で切り抜け、両手で大きくガッツポーズした。
最速92マイル(約148キロ)の直球で押し、カーブ、チェンジアップで緩急をつけ、5回5安打3奪三振1失点(自責0)。救援陣が4点のリードを守りきれず、初勝利は消えたが「5回で降りてしまったのが、自分の信頼のなさ。逆に申し訳ない。平均で7回くらい投げられるようにならないと」と語り、自己採点は「50点」と辛口だった。
日本球界で通算107勝を挙げている左腕は、12年のキャンプ中に左肘じん帯を断裂し、5月に再建手術を受けた。違和感を覚えるたびに「またやっちゃったかな」とナーバスになった。バッテリー間の距離で投球して痛みが出なかった時、初めて「本当にじん帯、くっついてるんだ」と実感した。
ダブルヘッダーの規定で拡大された登録枠での昇格だったため、9日には再び3Aアイオワに戻る。レンテリア監督は後半戦でのローテ入りについて「素晴らしい仕事だった。すべての可能性はある」と含みを持たせた。
試合後、携帯電話にメールが届いた。学校から帰宅し、録画を見たまな娘からだった。「パパ、焼けたね。頑張ったね」。マイナー暮らしで日焼けした顔を、ほころばせた。
◆和田渡米後の経過
▽11年12月 ソフトバンクをFAとなって、オリオールズと総額815万ドル(当時のレートで約6億4000万円)で2年契約を結ぶ。
▽12年3月 キャンプ中に左肘の違和感を訴える。
▽同4月 開幕から故障者リスト(DL)入り。3Aで1試合登板も2回2/3で6失点、その後左肘の靱帯(じんたい)損傷が判明。
▽同5月 靱帯修復のトミー・ジョン手術を受ける。
▽13年5月 3Aノーフォークで復帰後初登板。19試合5勝6敗、防御率4.03も、昇格できずシーズン終了。オ軍からオプション破棄で自由契約。
▽同年12月 カブスとマイナー契約。
▽14年4月 3Aアイオワで3勝1敗、防御率0.68で球団の月間投手MVPとなる。
◆和田 毅(わだ・つよし)1981年2月21日、島根県生まれ。33歳。浜田高時代は97、98年と2年連続夏の甲子園に出場。早大では六大学記録の通算476奪三振をマークし、27勝13敗。02年ドラフト自由獲得枠でダイエー(現ソフトバンク)入り。03年14勝5敗で新人王。10年には17勝8敗で最多勝のタイトルを獲得、リーグ優勝に導きMVPに輝いた。日本プロ野球通算成績は107勝61敗、防御率3.13。180センチ、82キロ。左投左打。